どうしてもSMAPがいい

平成生まれ一般人が「SMAP大好きだ!」と綴るブログ。「はじめに」の記事をお読みください。

「散らせないでほしい」

 

SMAPとして六人が出会いひとりは自分の道を進み、五人はその選択を受け入れ送り出しそれからも共に25年以上やってきた。

ただ、それだけでいいじゃない。

もう、そのままでいいじゃない。

ずっとSMAPやってたいなら、やってたっていいじゃない。

ずっとSMAPをやらせてあげてくれないか。

中居くんを泣かせちゃいけないよ。

意志ある人間の不本意な幕引きは、見ている側も悔しい思いにさせますね。

 

そりゃあSMAPの仕事がなくなっても生きていけるよ。
視野が広がったりするでしょう。
可能性も増えるかもしれない。
SMAPとしての人生じゃなくて、ひとりの人間として生きていける。

だけど、彼等SMAPなんだよ。

 「おじいちゃんになってもSMAPをやりたい」

SMAPは血液」

SMAPはホーム」

「これからもSMAPの一員としてやっていく」

そう言ってる人たちなんだよ。

お飾りで言ってるんじゃないんだよ、その言葉。

 

作品の売り上げや視聴率なんていうものも並だかそれ以上持っているのでしょうが、それだけじゃないでしょう。

持ち番組で被災地に行って炊き出しやって、それとは別にそれぞれがひっそり被災支援金を寄付して、現場にも行くメンバーがいて。

海外の著名人を番組に呼んで一緒に歌って食事振舞って、海外タレントにも知られている。

27時間テレビで庶民が主役の企画の司会やって、その出演者のいるところに日本各地直接足運んで、別の企画ではペンギンのカッコしてバカやって、最後に45分ぶっ通しのライブやる人たち。

今までの仕事を全て見てきたわけではありませんが、この人たちは仕事を「こなしている」のではなく仕事を「やってる」という意志と態度が見えるから好きなんです。

 

スターなんだよ。

どうにかならないかな。

どうにかしてあげたい。

そんな事を権力も権限も持たないただの一般人が思ってしまうよ。

だから、国民的と言われるんだろうな。

 


 

追記12月29日

 

本当にこの終わり方は納得いかないけど、SMAPは何があろうとSMAP
今までの28年間は失われない。
その仕事ぶりや姿勢を見てきましたから、形式的に名がなくなってしまっても「SMAP」を生きる人たちの活動は応援し続けます。
また、ケタ違いに人を楽しませる事に従事している人たちですから、ひとりの人としても幸せになってほしいなと、そう感じるこの頃です。

 

自分が不自然だ、納得がいかないと思ってしまう理由は、ひとつは解散決定の理由が明らかにされない事。

ふたつ目は、大事な場面では必ず自身の言葉を紡いできたメンバーが、未だに自分の言葉で語れない事。

みっつ目は真実の見えない情報を流し混乱させるメディア。不自然な対応を繰り返す事務所。追求のできない業界。

有り体に言ってしまえば、現場の人間に責任を押し付けて問題解決しようとする上層部、というひと昔前の企業によくある対応に見えて仕方がないんですよね。

 

今回の件で情報操作やデマやパワハラや業界事情を目の当たりにして、さらにいろいろと失望しました。

解散自体、メンバーの不仲でも本意でもない事はファンでなくても分かるよ。

言えない真相なんて知りませんが、名実あるグループをこんなかたちで終わらせて、業界も事務所もそれでいいんだろうか?

金と権力が透けて見えすぎて悲しい通り越してむしろ不快感の方が強いです。

理不尽な謝罪会見見させられて、報道の不自然さを見させられて無神経でいられないでしょう。

今回の騒動は日本のメディアや芸能界の在り方、雇用や人権も含まれる問題だと思いますし、事実、海外ではその筋のニュースで取り上げられてますし。

何事も良心を忘れずにやってくれないかなと思います。